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【重文級】◆ 田能村竹田 船窓水戯 六書画 画帖◆肉筆紙本 江戸後期 南画家 田能村 竹田(たのむら ちくでん、安永6年6月10日(1777年7月14日) - 天保6年8月29日(1835年10月20日)[1])は、江戸時代後期の南画(文人画)家。幼名は磯吉、後に玄乗、行蔵。名は孝憲。字は君彜(くんい)。通称は行蔵。別号は九畳仙史・竹田老圃・竹田邨民・秋心・随縁居士・九峯無戒衲子・紅荳詞人・田舎児・藍水狂客・三我主人・西野小隠・秋声館主人など。更に斎号(居室の名)に竹田荘・補拙廬・雪月書堂・対翠書楼など多数。豊後国直入郡竹田村(今の竹田市)の岡藩儒医田能村碩庵の次男として生まれる。母は水島氏。禄高12人扶持であったがこれは武士の中ではかなり低く、更に藩の財政難で実際はこの6割程度しか俸禄を得られなかった。この為竹田は生涯にわたり生活資金の工面に苦労させられることになる。6歳で素読を始め、11歳で藩校由学館で入学。成績は極めて優秀だった。その詩才を見抜いた師の唐橋君山は詩文結社竹田社・米船社の同人に迎えた。翌年、宿痾となった耳病と眼疾を発病する。享和元年(1801年)、編纂事業準備のため江戸に下向。その途次大坂の木村蒹葭堂を訪ね、江戸ではかねてより文通のあった谷文晁を訪問。文化2年(1805年)眼病の治療と儒学を学ぶため、途中博多、長崎、熊本、小倉、下関に立ち寄り京都へ約2年間遊学。その間村瀬栲亭に入門。大坂では浦上玉堂や岡田米山人・上田秋成らと知遇を得る。文化8年(1811年)、生玉の持明院で頼山陽と邂逅、以来親交を深める。またこの年秋には紀州にて野呂介石にも画法を指南されている。現在、竹田の作品は、出光美術館に約200点、大分市美術館に45点、竹田市歴史資料館に10点をはじめ、日本各地の24カ所の美術館・博物館に所蔵されている。【サイズ】39cm×30cm ※素人採寸ですので若干の誤差はご容赦下さい。【状態】経年経過によるスレ、キズ等御座いますのでジャンク品とお考え下さい。※詳細につきましては、画像にてご確認下さい。【その他】上手な手直しがあった場合、当方ではわかりませんので画像にてご確認下さい。 タイトル、時代、作家等、主観に基づき記載しております。 画像や説明文以外にも汚れ擦れ小傷等のあることをご理解下さい。

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